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御祭神


本 社    
 賀志波比賣大神(かしはひめのおおかみ)
 大山祗大神(相 殿)
 
末   社  
 恵比須大神 
 大國主大神
 
当社の主祭神 賀志波比賣大神(かしはひめのおおかみ)は、国家の鎮護・民族の長寿延命の守護神として御本社に奉斎され、その信仰は主として人の寿命を司り、1日に1人の命をお助け下さるという御神徳がございます。
そのため、危篤の病人といえども親戚・知人が清水に浴し心身を潔めて至誠を込めて祈願をすれば、必ず病気や怪我が平癒すると強く信仰されています。また、1日に1人の命をお助け下さるとの御神徳から、その日の1番早い時間、即ち真夜中の午前零時に一番神楽祈祷をする習慣がございます。
病気平癒や危険な仕事に従事する航海業、漁業、工事関係者、海上安全、交通安全等の祈祷者が大半であり、大願成就の暁にはお願ほどきの御礼参りをするという信仰もございます。
賀志波比賣大神は、延命長寿の守護神として全国各地に崇敬者を有しているが奉斎しているのは全国でも当社だけでございます。

御神紋について



当社の御神紋は「八角御紋」で、三方の形をしています。
三方とは神事において神様に御供えする神饌を載せる台のことであるが、所謂食器を意味します。往古、食物を柏の葉に盛る風習があり、それから転じてカシワは食器の総称とされ、現在でも携帯する食器をカシワと言います。
柏の葉は落葉樹ですが、秋に葉が枯れても翌年の春に新芽が芽吹くまで古い葉が落ちない特性から、「家系が途絶えない」子孫繁栄の縁起物であり、カシハヒメの語源とされたのではないかと伝えられており、「柏の葉」=「三方」=「八角御紋」と推測されています。

御由緒



黄塵の巷を離れ、雲表遙かにそびゆる阿南霊峰の頂上に弥高く鎮まります、延喜式内社(賀志波比売神)津峯神社は、人皇第四十五代聖武天皇の御宇、神亀元年、神託によって國家の鎮護、民族長寿延命の守護神として賀志波比売大神を御本社に、開運招福、海上安全の守護神として恵比須大神、大國主大神を境内社に奉斎し、國主、領主の尊崇頗る篤く、殊に阿淡の藩主蜂須賀家歴代の家運長久を祈願せられ、爾来県内外の庶民開運招福、生命の守護神として、ことのほか信仰し、更に主神、賀志波比売大神は延命長寿を司り一日に一人の生命をお助け下さるとの御神徳、また恵比須大神は、福の神として阿波七福神めぐりの社寺に加わり、この霊域に参詣する全國各地の崇敬者が四季絶えることがない。室戸阿南海岸國定公園の当津峯山は本州の東南に屹立して衆山の崇とも言うべく、遠くは紀の和歌の浦、淡路、鳴門、近くは小松島、橘湾等、雲霞縹緲の間に展望することができ、俯瞰すれば紺碧の海面を、或いは飛鳥の如く、或いは漂葉の如く去来する機船、漁船の妙様筆紙に尽しがたく、海底の旭日、西山の夕陽、その景、阿波八景随一の名にはじず、陸前の松島に似て勝るとも劣らぬ絶景である。
赫々たる神徳、風光の美をかね実に天下の勝地であり、今や阪神、和歌山、香川、高知県をはじめ、全國各地に崇敬者を有し、篤信の徒、観光の客、この霊域に賽する者年間五十万人を超えている。
天正年間、阿土合戦の戦火に罹災するも藩政時代には國主蜂須賀阿波守の崇敬あつく、家老賀島家歴代の家例として正月三日諸臣を従え、参詣され、近くは大正九年五月二日蜂須賀正韶侯爵、昭和二年六月二日伏見宮博義王殿下がそれぞれ参拝せられ月桂樹の記念植樹をされている。

岩窟



津峯山の中腹(駐車場より通路あり)には昔、神社に参詣する潔斎場であった神明の岩窟、「貸椀伝説」で有名な家具の岩窟(昭和24年小学校4年生の国語教科書に掲載)、縁結びが叶えられるという結びの岩窟、鏡の岩窟、巾着の岩窟などがあり、当社と縁の深い岩窟群で探勝の人が多くいらっしゃいます。
これらの岩窟は海水によって土や岩が削られて出来た海蝕洞(シーケイブ)で、標高180mという高所に海洞が現状のまま残っているということは全国的に見ても類例が少ないとされています。

景観


山頂からは眼下に「阿波の松島」橘湾や紀伊水道、晴れていると遠く鳴門海峡、和歌山の景色が展望できます。特に橘湾の水平線から昇る初日の出は神々しく、幻想的です。
山麓から八合目まで上る津峯スカイラインでは、眼下に広がる景観だけでなく、春は桜、夏は紫陽花、秋は紅葉と美しい景色を楽しみながらのドライブは快適です。特に津峯神社は桜の名所としても知られており、時期になると多くの人出ににぎわいます。
西側山麓の石門公園は藤の名所として、整備された「陣ヶ丸遊歩道」では神明の窟など5つの岩窟、揺すると音の出る「揺るぎ岩」が見られます。